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クソして三年寝るブログ

システムエンジニアを生業とし3億のデバイスの上を駆け回るヤギ

退職しました

流行りの退職エントリを書きます。

 

【書いていること】
仕事をやめましたという話とそれにまつわるもろもろのこと

1.わたしのこと、仕事のこと
2.退職の理由
3.思い出話(どういう仕事をしていたのか)
4.これからどうするの

 

【1.わたしのこと】
零細SIerで新卒から3年ほど働いていました。
業務内容は金融系が主、基本設計、詳細設計、製造、テスト工程全般は主にやったかと思います。


【2.退職の理由】
・体が持ちませんでした
人間いくら好きなことを仕事にしていても、体が壊れてしまうとダメなんだということをひしひしと感じました。

自由度はないにしろ、最善の実装は何かを考えながらかけるプログラミングが大好きです。
注文に対してどういう風に実装したらいいかを考えるのが楽しいから、設計書を書くことが好きです。
作ったものの品質を補填する責任感は重いけれど、自分の仕事でシステムがよくなると思って行うテスト工程が大好きでした。

こんなに好きなことばかりを仕事にすることができるのだからきっと幸せなんだと思っていたのですけれど、人間の体を憑代にしておりますから、心がどんなに楽しいと思っていても体がガタガタになってしまえばもうダメでした。

元々抱えてるADHDの二次障害で出ていたうつ病がひどくなったのと、解離性健忘と意識障害が出るようになったことがトドメとなって退職することになりました。

・待遇の良い会社に行きたくなった

裁量労働制年俸制採用のため、ボーナスは出ませんでした。もちろん、みなし残業代を超えても残業代は支払われません。
転職の話でよその会社の話を聞いていたら、自分と同じくらい仕事してて給与もっともらってる話を聞いてたらやっぱり会社にいる必要もないかなと思い始めるのも仕方がないことかなと思いました。


【3.思い出話】
-研修の話
 厳しい上司でした。
 変数の書く場所、関数の設計、何から何まで事細かに根拠の提示を求める人で、わたし自身かなり気まぐれに動くところがあったせいもあって少ししんどかったかなという思いはあります。
 ただ、それが後で見たときに一番きれいなコードになるというもの作り終わった時に知ったので、厳しかったけれども一番ものを作ってて楽しかったと思えた時期だったと思います。彼が言っていたことで誤りはありませんでしたし、豆に面談してくれたりととても気を使ってくれる親切な人だったのでとても好きでした。
たぶん、私の設計思想の根底には彼の考えが生きているのかもしれないです。何か作るときにいつも、何で怒られたかなと思い返しながら書いたりしているので、彼のゴーストを追いながら何かを書くことになるのでしょう。

-企業の社内ポータルサイトの改修構築
 12年ほど動き続けているシステムの改修作業でした。
主に精算処理周りをやるだけだったのですが、どうもシステムの応答が遅いとのことで原因探索も行いました。値の解放処理が行われていないまま12年稼働していたために負荷がかかってしまっていたようで、ソースコードを全部見直してクローズ漏れしているところを列挙して試験という作業を追加で行いました。メモリの使い方をもう一度学習しなおすことになったせいもあり、アルゴリズムってやっぱり大事よねと思った記憶があります。

-某銀行系の案件
 激務で体壊して一時期幻聴まで聞こえるようになってえらい目にあったので、本当にあの案件にはもう近づきたくない。トイレですすり泣くおっさんの声を聴いたのもこの案件が初めてだし、現代のピラミッドの建築に携わることになるとも思っていなかった。
 何か得たものはありますかって言われたら、自分の父親と同じくらいの人たちの悪意に晒されるのがこんなに怖いんだって知ったことかな。あとは納期2週間と言われたものが翌日には3日と言われることもここが初めてだった。
 聞こえるところで悪口を延々と言われるのがつらかった。1年目の春に一人で現場に放り込まれた部署で無能だとかなんとかとまったく関係ない人に言われるのがつらかった。悔しくてたまらなかった。このころから幻聴がひどくなっていたのでわたしが聞いたのは幻聴かもしれないけれど、たぶん何かずっと言われていたのだと思います。ずっと人の悪口がどこにいても聞こえてくるのはつらいなあと思いました。下請け会社間のカーストもあったけど元請け内の学歴カーストも怖かった。もう許して。
 あの案件は本当に一度燃やして灰にしたほうが良いんじゃないかとさえ思う。サクラダファミリアは立てられないよ。

-証券系の案件
 多国籍の人間に囲まれて、英語がしゃべれないのに英語でコミュニケーションをとらなければならなくて「英語がしゃべれないのか」と煽られて悔しい思いをしながら英語を勉強して仕事をした記憶があります。主に試験工程でしたが、設計書含め書面等々が何もない場所で、システムの現物だけ渡されて品質を補てんしろという無茶ぶりをされることも、仕事の流れを自分たちで一から作っていくこともあまり経験できることでもなかったんじゃないかなと思う。とにかくこの案件は楽しかった。

-医療系の案件
 データ多いし仕様書わけわからないし、やっとかけたゾ~と思ったら要件定義作った人が間違ってたとか、お客さん→元請け→うちとの伝言ゲームに失敗して作業巻き戻しになってしまうことが多く、難儀だったように思います。直接対面で話したほうが早いじゃん、という話なんですけれど、下請けから直接話をしに行くことができなかったので連携の難しさを改めて知る機会になりました。
 あとは単価契約の間で、どの業務までは契約単価内、ここから先の依頼は別料金みたいな形で安請負しないように立ち回ることも大変だったように思います。相手は安単価で働かせようとしますし、こちらは単価以上の労働をしたくはありませんので、いくら立場がしたであろうと受けられない仕事は受けられないということを伝えなければならないことが最もつらかった。
金まわりでここまで人間の悪意という悪意を感じたのは初めてだったかもしれない。

 

【4.これからどうするの】
少し休んでから仕事をします。
実はもう次が決まっていて、次職もSIerでやはり零細企業なのですが、今度は金融系ではなく商業系なので、今までやったことのない業務ができそうで楽しみです。

 

【おわりに】 

会社の人はすごく好きでした。